平成17年11月12日

日本三大火祭り・須賀川松明あかし 

今から400年以上も前の天正17年(1589年)6月、伊達正宗の指示により二階堂家重臣の守谷築後守は、
城本丸の風上にあった二階堂家の菩提寺、長禄寺に火を放ったのです。火はたちまち四方に飛び火し、
町中が火の海と化してしまったのです。須賀川城は火炎に包まれ、家臣の大部分は城と運命をともにして
悲壮な最期を遂げたのでした。文冶5年(1189年)から400年の長きにわたり、南奥羽の雄として権勢を誇った二階堂家、
須賀川城も遂に落城してしまいました。「松明あかし」は、この戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うために行なわれる
ようになった行事です。昔は旧暦の10月10日に行なわれていましたが、現在は新暦の11月第2土曜日
五老山で行なわれています。

松明太鼓演舞
大松明 36本あるとの事です。
城仕掛け松明 左の方にお城が見えます
武者仕掛け松明 
  御神火松明  手に手に持った松明を一つにまとめます 



















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